勝手にふるえてろ

昨日見ました。映画公開前(去年の夏ぐらい)からずっと見たくてですね。念願叶ってようやく見れました。最近少女漫画原作の映画が等によくありがちなただのラブコメ映画じゃないですね。マイノリティーがマジョリティーがふんぞり返ってる世の中で生きていけるのか生きていてもいいのかいうようなことを描いてる映画です。松岡茉優さんの演技力(細かいことはわからんけどもさ)にまさしく脱帽と共に綿矢りささん原作の秀逸さ素晴らしいものがあると思います。またさ、松岡茉優さんがかわいいのなんのなんの特に過去妄想時眼鏡陰キャラ姿が良かったです。以下ネタバレです。見たくない方見ないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人公のヨシカ(松岡茉優)は、冴えないOLで実際に変人でありながらも俗世間へ迎合できないと決めつけて、自分のことを特別視しているんですよ。

それで彼女が生きている場所は、彼女の脳内で繰り広げられる妄想世界(冒頭のシーンで二より一を選ぶ)でその象徴こそ‘‘第一の彼氏‘‘一(北村匠海)であって最初の場面での現実は‘‘第二の彼氏‘‘である(後になる)二(渡辺大知)なんですよね。冒頭の会社内の飲み会において二と会話することで(この時かわいいと言われる)、ヨシカは現実(俗世間)に対して迎合しに行く(例:一に話しかけに行く)。この後にヨシカは二との会話をしていくことで現実との会話をして、妄想への執着が和らいでいくのですが、同窓会において、結局現実(俗世間)に迎合などできておらず(実は二も非俗世間の人)、東京での同窓会で一の告白の数々で視聴者にヨシカと俗世間との乖離を示し、一の最後のセリフによってヨシカも現実には生きていなかったことに気付く。それで、現実に対して何も抱かなくなったヨシカに対して二は寄り添いヨシカは現実へと引き戻される(二も俗世間には生きてない人)。この時完全に空想との離別をはかるんですが、くるみ(石橋杏奈)から二への密告がヨシカに伝わり、また彼女は現実への諦めをするんですが、最初の状態と違うのがこの時現実世界に対しての憧れが一切なくなってる事なんですよね。二との関係もなくなり(俗世間との真の乖離)また空想に逃げようとするも、もう一はいなくなっており、ヨシカは虚無に苛まれる。色々なことを経て虚無になったことで、ヨシカの中に未練が残り、くるみの電話で二(現実)を選択しヨシカの家の前で二と会話を行うことで、初めて二(現実)とお互いの気持ちをぶつけ合う。結果ヨシカが二のことを初めて名前で呼ぶことで、現実をしっかり直視してラスト二と結ばれ部屋で愛し合う。というような感じでしたね。結局は、ヨシカ(非俗世間)は俗世間には迎合できなかったけども、マイノリティー(非俗世間)は俗世間の中で生きていてもいいじゃないかいうマイノリティーに寄り添うような映画だと思いました。

因みにタイトルの意味は最後赤い付箋が落ちて徐々に濡れていくんですが、その時に高まっていく心の鼓動のことを指しているのではないか?かという予想です。

とっても面白くて、映画の場面場面の情景に一喜一憂させられて、映画の中に入っているかのような感じでありました。この記事の冒頭にも書いたように松岡茉優さんの演技すごいねぇ。もっと以前から知ってはいたものも、ちはやふるを見て、この女優さんすげぇ人だなとは思ったけどもまさしく圧巻でしたよ。兎にも角にも自覚しているしてないはともかく人生生き辛くて仕方ないマイノリティーも頑張って生きていこうな!自分も頑張って生きてる!

 

furuetero-movie.com